立杭焼が地雷に使われていた
15年ほど前のことですが、三田市の「ふれあいと創造の里 陶芸館」に立ち寄りました。
展示品は、基本的に立杭焼の一派(?)の三田焼の展示なのですが、なんとそこに地雷が展示されていました。
なお、三田焼は、江戸時代中期の1751~64年に開かれていた志手原窯で始まったとされ、つややかな緑色が美しい「三田青磁」や、鮮やかな朱色の「赤絵」などが作られていましたが、明治以降に衰退していったとのことです。
右隣に弁当箱が並んでいるという悲しげな展示台にその立杭焼地雷が展示されていました。
あわれにも地雷上部には、テプラでしっかりと説明が貼り付けられています。
「立杭焼地雷(第二次大戦末期日本製陶所製)」
日本製陶所は、三田市にあった陶器製造会社です。
強引にテプラを張り付けられている地雷は、なんだか悲しげに見えます。
しかし、実際のところ、陶器製なら金属探知器に発見されにくいという利点はあるのでしょうね。
また、陶器製なら原料も土なので爆発後も地球に優しいと言えます。
でも、運ぶ途中で落としたら壊れそうです。
実際は、陶器の破壊による攻撃力が小さいことでほとんど役に立たなかったと聞きます。
なんにしても、鉄の不足を感じさせる一品です。
ふれあいと創造の里 陶芸館(三田市)
三田市中心部から北に10kmほどのところにある静かなところです。