山陽道野磨駅家跡(さんようどうやまのうまやあと)とは?
この駅家(うまや)跡の別名を落地遺跡(おろちいせき)と呼ぶそうな。
奈良時代レベルになると読むことすら難しい地名が多くて困る。
漢字変換にも一苦労である。
とにかく、奈良時代から平安時代にかけては、都と九州太宰府を結ぶ山陽道は後世の人が考えるよりもものすごく重要な道であった。
この道ははるか、朝鮮半島や中国とも直結していたわけである。
そしてこの山陽道野磨駅家は、今昔物語集や枕草子にも登場しているというものすごく重要な施設であったようだ。
※訪問 2020.3
利用案内
無料
適当に散策可能
アクセス
上郡駅から4kmほど南西にあります。
駐車場あり
山陽道野磨駅家
県道5号姫路上郡線の東側にあります。
車の場合は、気をつけないと通り過ぎてしまいます。
1300年前の上郡はすごかったようである。
今昔物語集に出てくる野磨駅家の話
うーん、そこまで面白いとは感じない・・・
とにかくだだっぴろい野原に看板のみが点在する。
地形すら変わっていそうなので、西門と言われても想像するに難しい。
同じく後殿。
同じく正殿。
とにかく広い。
パンフレットも置いている。
すこしばかり南に駐車場あり
先の駅家跡の少し南に下って西側に見学者用駐車場があります。
仮設トイレはロープでくくってあるので、使用不可。
このあたり一帯が駅家跡とのことらしいが・・・
その他